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ルワンダから香港へ 虐殺取材の教え 「もう」「まだ」で揺れ動いた30年 日曜に書く 論説委員・藤本欣也
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ルワンダから香港へ 虐殺取材の教え 「もう」「まだ」で揺れ動いた30年 日曜に書く 論説委員・藤本欣也
新幹線を利用するときは、駅構内でテークアウトのコーヒーを買ってから飛び乗ることが多い。「アフリカ... 新幹線を利用するときは、駅構内でテークアウトのコーヒーを買ってから飛び乗ることが多い。「アフリカのルワンダ産です」。ある日、店員にこう言われて渡されたコーヒーを東京のビル群を眺めながら味わった。少しフルーティーで、さっぱりした風味がある。日本でルワンダのコーヒーを普通に楽しめる時代が来るなんて、あのころは想像もつかなかった。 絶体絶命今から30年前の1994年夏。当時30歳で社会部の遊軍記者だった私は初の海外出張を命じられた。それがアフリカ中部の小国ルワンダだった。 多数派フツと少数派ツチが共存してきた同国では、94年4~7月、民族対立や権力争いを背景に犠牲者80万人以上という大虐殺が起きた。兵士などの強硬派フツが主体となってツチや穏健派フツの人々を殺害した。 隣国のザイール(現コンゴ)にもルワンダの旧政府軍兵士や民兵を含むフツの避難民らが押し寄せる事態となり、日本の自衛隊が同年秋から難民