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旧社会党ナンバー2 久保亘氏の動向ノート 元秘書がつぶさに記録「墓まで持って行く」 細川連立政権発足、村山首相就任…90年代政局の舞台裏記す | 鹿児島のニュース | 南日本新聞
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旧社会党ナンバー2 久保亘氏の動向ノート 元秘書がつぶさに記録「墓まで持って行く」 細川連立政権発足、村山首相就任…90年代政局の舞台裏記す | 鹿児島のニュース | 南日本新聞
旧社会党書記長や副総理兼大蔵大臣を歴任した元参院議員久保亘氏=旧鹿児島県姶良町出身=の動向などを... 旧社会党書記長や副総理兼大蔵大臣を歴任した元参院議員久保亘氏=旧鹿児島県姶良町出身=の動向などを記した「久保ノート」を当時の秘書が所持している。今年は久保氏死去から20年、非自民7党1会派による細川連立政権発足から30年。政局が激変した1990年代、その渦中にいた久保氏の動きや言葉をつづったノートは複雑な政策決定過程を知る手がかりとなる。 2003年に74歳で亡くなるまで23年間秘書を務め、現在は野間健氏(衆院鹿児島3区)の国会事務所に勤める久本芳孝さん(65)=鹿児島市出身=が、久保氏から「日程整理のため記録を残すように」と指示を受けて書きとめた。 ノートはA4判10冊。党副委員長に就いた1990年4月に始まる。93年8月の細川連立政権発足、村山富市党委員長を首相とする94年6月の自社さ連立政権誕生、その後の橋本政権で96年1月に副総理兼蔵相として入閣し退任する同11月まで、約6年7カ月