特攻隊は「よくやった」(1944年10月)→特攻作戦続行・拡大 戦争終結は「もう一度戦果を挙げてから」(1945年2月)→東京大空襲、全国焦土化、沖縄戦 「海軍にはもう艦はないのか?」(1945年4月)→大和特攻、2時間で4千人戦死 沖縄をアメリカに売った「天皇メッセージ」(1947年9月) 戦争責任は「言葉のアヤ」、原爆投下は「やむを得ない」(1975年10月) こちらの記事へのコメントで要望を頂いた件、面白そうなのでやってみた。 昭和天皇裕仁のクソな「思し召し」と言えば、すぐ思い当たるのはつぎのようなものだろう。 特攻隊は「よくやった」(1944年10月)→特攻作戦続行・拡大 海軍特攻隊の生みの親と言われる大西瀧治郎は、必ずしも特攻作戦に積極的ではなく、これを「統率の外道」と呼び、こんなことまでしなければ戦えない状況になっていると知れば、天皇が戦争を止めてくれるだろうと期待していたと言
テレビ東京の鑑定番組「開運!なんでも鑑定団」で、徳島市の男性が所有する陶器が世界で4点目の「曜変天目茶碗(ようへんてんもくちゃわん)」と鑑定され、真贋(しんがん)論争が起こっている問題で、この陶器を奈良大が成分分析した結果、18世紀以降に開発された化学顔料はほぼ検出されなかったことが27日、分かった。番組での鑑定結果に異論を唱えていた専門家は、中国の模倣品と斑紋が酷似していることを理由に「化学顔料が使われている」と訴えていたが、その主張を覆す結果となった。 陶器の成分分析は、所有する徳島市の男性(57)が2月22日に奈良大の魚島純一教授(保存科学)に依頼した。 魚島教授は、物質に含まれる元素を検出する蛍光X線分析装置を使い、茶碗表面の色ごとにX線を当て、元素の種類と量を調べた。その結果、アルミニウムなど10種類の元素が検出されたが、化学顔料に使われる元素は発色に影響を与えない程度のごくわず
今年で放送開始から23年目を迎える、テレビ東京の看板番組『開運!なんでも鑑定団』(火曜夜8時54分~)。常時2ケタ視聴率を記録する同局きっての人気番組に、思わぬ大騒動が持ち上がっている──。
長野県・諏訪大社の「御柱(おんばしら)祭」で今年5月、氏子の男性(41)が転落死したのは、適切な安全防止措置を施さなかったためなどとして、弁護士2人が北島和孝宮司に対する業務上過失致死容疑での告発状を長野県警諏訪署に提出した。6年ごとに開かれる御柱祭では毎回のように死傷者が出ており、告発は祭りの安全対策に疑問を投げかけるものだ。 【写真特集】急斜面を人とともに「木落し」 諏訪大社御柱祭 告発したのは、茨城県つくば市の坂本博之弁護士と、東京都北区の箱山由実子弁護士。告発は13日付。告発状などによると、5月5日の大木を垂直に立てる「建て御柱」で、高さ15メートルの木の上部から氏子の男性が転落し死亡した。祭りでは1968年以降、74、80、86、92、2010年に死亡事故が起きている。危険性が高く迫力のある祭りの様子が話題となり、集客や収益にはつながるが、生命を軽視し犠牲にすることが許されるも
昔々、古代中国の歴代王朝によって編纂された正史(史書)によれば、わが国にも国家の萌芽ともいうべき原始的な小国家が生まれていたようだ。その国が「倭国」や「邪馬台国」といわれていたことは、よく知られている通りである。 しかし、読み方が記録されているわけではないので、「倭国」は「わこく」と読むのか、「やまとのくに」と読むのかはわからない。「邪馬台国」も「やまたいこく」なのか「やまとのくに」なのかは定まらない。いったい、どれが正解なのだろうか。 いずれにしろ、この表記の仕方を見れば、倭は「いやしい」という意味で、倭国は「いやしい国」となり、邪馬台国は「よこしまで、野蛮な下界に住む者の国」ということになり、いいネーミングとはいえない。中華思想にとりつかれた者から見れば、周辺はみな蛮族の国になる。 これだけでも十分にややこしい問題になっているところに、さらに厄介な問題が発生したために頭が痛くなるわけで
■江戸しぐさとは江戸の町民たちが行っていた、日常生活のマナーだそうです。NPO法人「江戸しぐさ」理事長 越川禮子さんが、主張しています。傘かしげ、肩引き、時泥棒、こぶし腰浮かせなど。公共マナーのポスターになったり、公共広告機構(ACジャパン)に取り上げられたり、道徳の教科書にまで載っています。 ■TBSの「NEWS23」でも話題に6月25日のTBSテレビ「NEWS23」でも話題になっていました。歴史の研究家らにインタビューして、江戸しぐさの矛盾点を指摘していました。偽史についての本を書かれている原田実先生も、江戸しぐさの問題を語っています。 原田先生は、関連本も出されています。『江戸しぐさの正体 教育をむしばむ偽りの伝統 (星海社新書) 』 江戸しぐさに関する歴史的資料は何もありません。なぜ何もないかといえば、「江戸っ子大虐殺」があって資料が全て焼き払われ失われたと、NPO法人「江戸しぐさ
これまでは、弥生時代の始まりとともに大陸や朝鮮半島から大量の渡来人(弥生人)が押し寄せ、先住民(縄文人)は圧倒され駆逐されたと信じられてきた。江上波夫の騎馬民族日本征服説が戦後の史学界を席巻してしまった時期もあった。さすがにこの推論を支持する学者はいなくなったが、「日本に与えた朝鮮半島の影響力を大きくみなすことこそが進歩的」という風潮は、つい最近まで残っていたように思う。しかしそういった「これまでの常識」は、もはや通用しなくなった。 まず、かつて盛んに唱えられていた日本人南方起源説が、否定された。人種の違いを識別できる「血液型Gm遺伝子」の分布から、日本人の先祖はロシアのバイカル湖から南下してきたことが判明したのだ。「日本民族バイカル湖畔起源説」である(松本秀雄『日本人は何処から来たか』NHKブックス)。さらに、DNA研究の進化によって、新人(ホモ・サピエンス)が15万年前にアフリカ大陸に
「城内は空っぽでした。兵隊どころか、住民も、誰もおらんでした」 南京攻略戦に参加し、昭和12年12月13日の陥落後に南京城に中華門から入城した元陸軍第6師団歩兵第47連隊の獣医務曹長、城光宣(じょうこうせん)(98)の目の前には、無人の市街地が広がっていた。 少し前まで、門をめぐって日中両軍の激しい攻防戦が繰り広げられていたが、壊滅状態になった中国軍兵士が城外へ一斉に逃げ、城内は一転して静寂に包まれていた。中に入ると、厚さが約40センチもある門扉の内側に、進入を阻むための土嚢(どのう)ががっちりと積まれていたのを覚えている。 南京城の広さは約40平方キロメートル、JR山手線が囲む面積の3分の2程度だ。城内には、れんが造りの平屋の民家が多かったが、どれも無人だった。住民らは城内に非武装中立地帯として設けられた「安全区」に逃げ込んでいた。 「無抵抗の民間人を殺すのが虐殺。だが、人がおらん以上、
旧日本軍が昭和12年12月、中国・南京を攻略した後の一時期を、城内で過ごした元海軍第12航空隊の3等航空兵曹の原田要(98)は、当時の雰囲気をこう振り返る。 「とても戦争中とは思えなかった。南京は誠に和やかに尽きる、という印象でした」 10日から始まった総攻撃で、九五式艦上戦闘機の操縦桿(かん)を握り、頑強だった南京城南東の光華門を攻める陸軍を援護した。両翼に60キロ爆弾をつるして、何度も城を攻撃した。 「城壁に爆弾を命中させるとともに、敵兵を機銃で撃ちまくりました」 陥落後に城内の飛行場に降り立った原田の印象に残るのは、日常生活を営む住民らの姿だった。露店が立ち、住民らは日本兵を相手に商売を始めていた。原田も豚を1匹買った。 「足をひとくくりに縛った子豚で、仲間と一緒に食べました」
1 断崖式ニードロップ(東京都) 2013/12/11(水) 19:55:36.58 ID:uZTBzEt6P ?PLT(12000) ポイント特典 5 名前:名無シネマ@上映中[sage] 2013/12/02(月) 21:53:46.64 ID:lON/H3ET これ原作のあらすじ見たけどいつもの在日チョンの日本文化強奪ごり押し映画ぽい 158 名前:名無シネマ@上映中[] 2013/12/10(火) 01:41:13.84 ID:Jv5wj9PA 原作読んでなくてもCMを見ただけで朝鮮がらみと分かった。利休が主人公なのと 舞台挨拶で俳優たちの顔が情けなくげんなりしているところが。ああ、これはチョン文化ゴリ押しかと。 67 名前:名無シネマ@上映中[sage] 2013/12/07(土) 12:32:45.96 ID:l0b72FY4 全く予備知識がなくタイトルと話題だけ
「知れば知るほど嫌いになる国、韓国」と言っている人が信じている情報がデマばかりの件 その2 愛国者様たちが韓国を嫌う理由として「韓国(と中国)は反日教育をしているから」という話をよく見聞きします。 まぁ確かに自分の所属するグループを悪く言われるのは面白くないモンだ。 しかも、太平洋戦争で日本の占領下にあった国はたくさんあるのに反日教育をしているのは中国と韓国だけだという。 なるほど。それは頭に来るよね。 それどころか台湾やインドネシアをはじめとする多くの国は太平洋戦争でアジアの解放のために欧米の列強国と戦った日本を称え、祖国を解放してくれた事を感謝していると言う。 ふーむ。 つまり、韓国と中国だけが太平洋戦争における日本政府及び日本軍の動きを「悪」と考える「反日教育」を行っている一方、他のほとんどの国は日本に感謝しているから「反日教育」をしていないという事だな。 ではちょいとアジア諸国の歴
過去30年間のめまぐるしい技術進歩により、これまで「謎」とされてきた様々な現象が解明されつつある。新たなる研究により、その正体が解明されつつあるものもある一方、いまもって謎につつまれたものもある。ここでは、世界に広がる「謎」とされる7つの事象についてみてみることにしよう。
日本の歴史教育では、小学生段階から日清戦争を扱い、日本はこの戦争に勝って清から賠償金を取り、台湾を日本の領土にしたことを教えているが、日本が日清戦争をたたかった真の目的を教えていない。 戦争に勝った国は、講和条約の最初の条文にその国が最も欲することを書き込む。日清戦争の戦勝国である日本が日清講和条約(下関条約)の第一条に書き込んだのは、領土でも賠償金でもなく、「清国ハ朝鮮国ノ完全無欠ナル独立自主ノ国タルコトヲ確認ス」という文言だった。日本が最も求めていたのは、朝鮮国の清国からの独立だったのである。なぜか。 ◆半島に自主独立国家を期待 欧米列強の脅威にさらされていた明治の日本は、自国の安全を確保するため、朝鮮半島に自主独立の近代化された国家が成立することを強くねがった。福沢諭吉は次のように論じた。 「いま西洋が東洋に迫るそのありさまは、火事が燃え広がるのと同じである。この火事から日本という家
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