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人生と格差社会に関するCruのブックマーク (5)

  • 生活保護世帯から東大で博士号を取るまで①|R. Shimada

    最近東大で博士号を取りました。専門は数学です。 数学の道を志すと決めたのは15歳のときでした。 この時の私は生活保護受給世帯で暮らしており、他の人より多くの困難を覚悟してこの決断をしました。 そして、実際に、ここまで来るには多くの困難がありました。 ここではその困難についてと、私がそれをどう打開したのかについてを書きたいと思います。 稿は私の経験を共有することにより、次の世代を励まし、生活保護制度や大学・大学院の問題点を明らかにすることを目指して書いています。 一方で、私の事例がこれとは逆の使われ方をすることがあります。 例えば「生活保護世帯出身でも努力すれば大学に行ける。行けない奴は努力が足りないんだ。」というような主張の根拠として使われることがあります。 このような使われ方は、私の意図するところとは全く異なります。 むしろ私は、どんなに努力してもくじ引きで当たりを引かなければ前に進め

  • 78歳の現役女性バックパッカー・武子さんが今でも世界を回る原動力とは? | 日刊SPA!

    私の真横に座る久保木武子さん(78歳)は、世界地図に視線を落としたまま人差し指をあちこちに這わせ、訪れたそれぞれの町について語る。世界地図を眺める彼女の瞳は、ゲームに熱中する子供のようだ。 私が話題を変えない限り、彼女は地図を眺めながらひたすら旅の思い出を語り続けるだろう。場所はバンコクのカオサンにあるゲストハウス『Long Luck』。グラスに注いだビールを飲み、朗らかな表情を崩さず旅のエピソードを話す武子さんは、78歳を迎えた今でも世界を旅する現役の旅人なのだ。 1939年3月28日、福島県いわき市生まれ。20歳で結婚した武子さんはしばらく東京で暮らしていたが、1974年ごろ、原発景気で沸く福島県の大熊町へと引っ越した。 40数年後、大熊町は未曾有の原発事故により景色が一変するのだが、この頃は福島第一原発4号機の製作が決まり街が沸いていた。純国産の原発は日立製作所が受注。関連する従業員

    78歳の現役女性バックパッカー・武子さんが今でも世界を回る原動力とは? | 日刊SPA!
    Cru
    Cru 2023/03/18
    バックパッカーが年食っただけじゃなく年齢いってから参入する人もいると。 “東北弁訛りで豪快に”って北関東系の無アクセントだろー?
  • 仲畑貴志 - Wikipedia

    仲畑 貴志(なかはた たかし、1947年8月20日[1] - )は、日のコピーライター。事業構想大学院大学教授[2]。京都府京都市生まれ[3][4]、京都市立洛陽工業高等学校機械科卒業[5]。東京コピーライターズクラブ会長[6]。仲畑広告制作所・仲畑広告映像所主宰[4]。宣伝会議コピーライター養成講座校長[7]。株式会社ナカハタ社長[8][9]。 糸井重里や川崎徹などと共に広告業界から頭角をあらわし、コピーライターブームの立役者となった一人として知られる[10]。「コピーライターの神様」と称される[11]。 略歴[編集] 京都で生まれ育ち、高校卒業後は設計事務所に就職するも、1年余りで設計事務所を辞める(一説には「実は設計の仕事が好きではなかった/向かなかった」らしい)[5][12]。グラフィックデザインをしていた友人からコピーライターという仕事があることを知り東行。様々な仕事を経験しな

    Cru
    Cru 2022/05/10
    戸川純のあの広告を作った人って工業高校卒だったのか。今でもこういうキャリアパスってあるはずだよね…
  • どこからが生きていると言えて、どこからが生きていないと言えますか?|読むらじる。|NHKラジオ らじる★らじる

    どこからが生きていると言えて、どこからが生きていないと言えますか? 22/03/27まで 子ども科学電話相談 放送日:2022/01/30 #子ども科学電話相談#サイエンス#いきもの#SDGs 11時台を聴く 22/03/27まで 11時台を聴く 22/03/27まで きどともひとくん(小学4年生・京都府)からの質問に、「動物」の小菅正夫先生が答えます。(司会・石井かおるアナウンサー) 【出演者】 小菅先生:小菅正夫先生(札幌市円山動物園参与) 塚谷先生:塚谷裕一先生(東京大学大学院 理学系研究科教授) ともひとくん:質問者 ――お名前を教えてください。 ともひとくん:

    どこからが生きていると言えて、どこからが生きていないと言えますか?|読むらじる。|NHKラジオ らじる★らじる
  • THE BRADY BLOG:さらば、底辺託児所

    金が貰える保育の仕事を毎日することになったので、このたび正式に底辺託児所を去ることになった。 金銭的余裕があったなら、一生ボランティアしたかもしれないが、まあ人生とはリアルなものであるから、そういうわけにもいかない。 マイ・ラヴリー・リトル・レイシストのジェイク、 戦慄のゴシック児レオ、 凶暴児リアーナ、 “I’ll miss you”の一言でわたしの心を蹴破ったアリス、 失禁と脱糞に苦労させられた元被虐待児のムスタファ、 わたしを見ると、顔が滑稽なせいかいつも笑ってくれたダウン症のミテキシー、 わたしが託児所に来ないと、託児所に置いてあるわたしのレインコートの袖を握り締めて歯ぎしりしていたという自閉症のジャズミン。 このような子供たちと関われるのは、底辺託児所しかなかっただろう。 最後に底辺託児所で働いた日、 「子供は大きくなると、大人になって、仕事をしてお金をもらうようになる人もいるし

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