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人生と地方に関するCruのブックマーク (5)

  • 岩手県釜石市 Part26

    掲示板に戻る | ルール(必読) | レスを全部読む | 最新レス50 岩手県釜石市 Part26 1 名前: ゆきんこ 投稿日: 2010/11/23(火) 05:39:32 ID:KQ8hbXCA [ FFEA-DA39-7DC8 ] 前スレ 岩手県釜石市 Part25 http://tohoku.machi.to/bbs/read.cgi/touhoku/1259753284/ それではごゆるりと・・・。 2 名前: ゆきんこ 投稿日: 2010/11/23(火) 12:19:03 ID:sVBOeXeA [ EBDE-DA39-7647 ] 釜石の B級グルメは タンパッキー 3 名前: ゆきんこ 投稿日: 2010/11/24(水) 01:57:34 ID:DN8HDUgw [ DED3-DA39-ED03 ] 釜石の B級グルメは 仲村野開放頭家 釜石の B級グルメは 斧や鯖の

  • 地方に住む親族の女の子は『本当に優しい子、お前がいてくれて助かる』と家族から言われ、こっちに出ておいでと誘っても『みんな困るから』と断られる

    焼き昆布(マンボウメンタル) @Wwmajidesorena 可愛くて強欲な女です。好きな長谷部は誠ではなくへし切です。宝石、鉱石沼に沈んでいます。たまに宝石お気軽アクセサリーを作っていたりします。 イヤーカフの販売、応募などに関して→@hasebesukisugiまで 焼き昆布(マンボウメンタル) @Wwmajidesorena 地方の女性差別な話見たけど、私の同年代の親族の女の子は「お前は女だから」とか言われてるんじゃなく 「当に優しい子、お前がいてくれて助かる」 とまわりに言われながら介護、甥姪の育児、手伝いしててなんかもう色々考えたことある。「こっち出といで」と言っても「みんな困るから」と断られた 2022-09-21 08:01:53 焼き昆布(マンボウメンタル) @Wwmajidesorena 別に人が色んな選択肢があることを知ってて、それにトライするのもまわりから渋

    地方に住む親族の女の子は『本当に優しい子、お前がいてくれて助かる』と家族から言われ、こっちに出ておいでと誘っても『みんな困るから』と断られる
    Cru
    Cru 2022/09/23
    すごい。まとめもブコメも考えさせられる。ただ、現況の福祉行政の貧困や、行政に頼ることへの謎の忌避感をまず取り除いたうえで選択肢の自由を考えるべきだとは思う。
  • 日本から捨てられた土地で生まれて

    この話をフィクションと思われてもいい。嘘松認定されてもいい。誰かの目に触れるだけで嬉しいから。 私は北国の相当の田舎で生まれた。コンビニも車がなければ行けない場所にあるようなところだ。当然電車なんて走っていない。ファミレスもないし、地方都市の象徴と言われているイオンなんてものはない。地方都市とも言えない部類の地域だった。 私は小さい頃から勉強ができた。少なくても幼稚園の頃にはひらがなはかけたし、繰り上がりの足し算も誰にも教えられずにできた。漢字は一度見たらすぐに覚えた。だから読んでいた物語に出てくるような高学年向けの漢字も2、3年生の頃には書くことはできた。周りがなぜ同じようにできなかったか理解できなかった。 そんな私を親も当然理解できなかった。周りの大人は中卒と高卒しかいなかった。学校を出れば男は工場だの大工だの漁師だの農家だのになるもの、女はさっさと結婚して子供を2、3人は生むのが当た

    日本から捨てられた土地で生まれて
    Cru
    Cru 2020/10/27
    企業人事担当者殿、田舎出身の国公立大卒業生は買いですよ...という気付きを得た。私も校区に三つしかない普通科の一番偏差値高い高校で数学がイマイチだったが県庁所在地の進学校から来た教師に教わって驚愕した記憶
  • 元捕虜収容所長を祖父に持つ記者と日本軍捕虜だった米国兵の対話(小暮 聡子)

    2015年8月15日、日は戦後70周年を迎えた。日が語る「国家」としての歴史が議論される一方で、第二次大戦には当時を生きた一人一人の物語がある。それはそれぞれの国で、体験者それぞれの「真実」として、多くの場合苦しみを伴いながら今後も語られていく。その戦争の記憶に「終止符」を打てる日は来るのだろうか——。 その思いをもとに元捕虜収容所長の祖父を持つ記者小暮聡子氏が、日軍捕虜だったアメリカ兵に会いにいった。3年前のルポルタージュをデジタルで初公開する。 捕虜たちが見た地獄 2015年6月初め、私は祖父が残した物語といま一度向き合うため、赴任先のニューヨークから米南部のニューオーリンズ空港に降り立った。ジャズの街ニューオーリンズは既に夏真っ盛りで、空港を出るとむわっという熱気が身を包む。車で30分も走れば音楽と酒にまみれた繁華街フレンチクオーターに到着するが、私を乗せたタクシーが向かう先は

    元捕虜収容所長を祖父に持つ記者と日本軍捕虜だった米国兵の対話(小暮 聡子)
  • リアル『永遠の0』アメリカ人捕虜と語る「戦争犯罪人」としての祖父(小暮 聡子)

    戦後70周年を迎えようとしていた2015年6月、ニューズウィーク日版記者の小暮聡子氏は、日軍捕虜となった元アメリカ兵やその家族の話を聞くためにアメリカで開かれた「全米バターン・コレヒドール防衛兵の会(ADBC)」年次総会を訪れていた。 元捕虜収容所長を祖父に持つ小暮氏は、元捕虜たちが自分に心の内を明かしてくれるか不安だったが、元捕虜のスターク氏は「あなたにはすべて話そう」と当時の地獄のような捕虜生活について語り始める。飢えに苦しみ、わからない言葉の中で暴力も振るわれる毎日。そして、戦後も家族にまで受け継がれる苦しみの記憶。その記憶に終止符を打てる日は来るのだろうか。 話し終えたスターク氏は、「次はあなたが話す番だよ」と小暮氏に促した。 デジタルメディア初掲載の渾身ルポルタージュ後編。 28歳で捕虜400人を管理していた祖父 祖父、稲木誠は44年4月から終戦まで、岩手県釜石市にあった収容

    リアル『永遠の0』アメリカ人捕虜と語る「戦争犯罪人」としての祖父(小暮 聡子)
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