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noteと育児に関するlatteruのブックマーク (9)

  • 松本湯で「託児銭湯」をやることになったので色々助けてください|ヨッピー

    おはようございます。銭湯の神です。 先日、銭湯で湯舟に入っていたら、使っていたタオルを知らない間に誰かに持って行かれてしまい「これは詰んだ」と泣いていたのですが一念発起、「着ていたTシャツで全身を拭き、ビショ濡れのTシャツをそのまま着る」というライフハックを駆使して事なきを得ました。 まあそれはどうでも良いんですけど、僕が住んでる中野区に「シティプロモーション事業助成」というのがありまして、めっちゃ平たく言うと「中野区のPRに繋がりそうな事業には100万円の助成金出すよ~」っていうやつなのですが、「せっかくだしなんか応募しよ!」と思ってこれを出しました。 子連れゆっくり入浴DAY(仮)!!!! どうですかこれ。めちゃめちゃ良くないですか。 日全国からサウナ好きが集い、開店時間と共にジャーンジャーンと銅鑼が鳴って3万の雑兵どもがサウナ室に駆け込む事でお馴染み、死ぬほどの人気銭湯である東中野

    松本湯で「託児銭湯」をやることになったので色々助けてください|ヨッピー
  • 『追い詰められて子殺しをするかわいそうな母親』とかいうツチノコの話|あおぞらしじみ

    無料で全部読めます。 あるいは河童、イエティ、理解あるカノジョ、オタクに優しいギャルなど。 3人の子どもが母親に殺された。 上から5歳、3歳、9か月。守られるべき者たちが、その責任を果たさない親に殺された。姉妹たちが愛し信頼している絶対者に次々と殺されていく様子を、それぞれどんな目で見つめていたのだろうか。その眼に狂気の絶対者の顔はどう映ったのだろうか。 各々、様々な感情を覚えたことと思う。 この事件を見て自分のことのように感情を動かされている人たちがいる。親の視点をもつひとたちと、子の視点をもつひとたちだ。 視点の違いから生まれている対立もあるように思う。 まずはそれぞれの視点から見えるものを考えていきたい。 親の視点と子の視点まず親の視点。特に現在進行形で育児をしていて、言うことをきかない子どもに手を焼かされ思わず声を上げてしまったり、手を挙げてしまったり、どうしても許せなくなってしま

    『追い詰められて子殺しをするかわいそうな母親』とかいうツチノコの話|あおぞらしじみ
  • 育児の現場で父親が透明化する現象について|ヨッピー

    僕、「よーし、育児ゴリゴリやるぞ~!」ってな意気込みだったんですけど、育児教室の先生や助産師さんがみんな「ママが~」「ママは~」ってママ主体で話をするし、男性が参加出来ないものもたくさんあったりするので、僕自身は別に気にしないけどあれで心が折れる父親もいると思うから改善して欲しい — ヨッピー (@yoppymodel) February 8, 2022 この件で急にabemaprimeに「出てくれ!」って言われていそいそと出て行ったら柏木由紀さんが「私のタイムラインにも出てきました~!」って言ってて「Twitterすげえ!」ってなりました。まあそれはどうでも良いんですけど。 〇透明化する父親 一応背景的なものを言っておくと、育児教室とか予防接種とかいわゆる「育児の現場」では何かにつれて「ママは~」「ママが~」ってなりがちで、「普段のお子さんの様子は~」みたいな事を聞かれるのもだいたい母親

    育児の現場で父親が透明化する現象について|ヨッピー
  • 所定労働時間を7時間に減らして3年が経ちました|万葉

    こんにちは、nay3です。 万葉では、働きやすさの実現のために様々なことを考え、取り組んできました。今回の記事では、それらの工夫の中でも最も大きなインパクトがあった、所定労働時間の変更についてご紹介したいと思います。 所定労働時間とは所定労働時間とは、会社が定める、社員が働くことになっている時間のことです。法的な上限である法定労働時間(週40時間・1日8時間)を超えない範囲で、会社が自由に決めることができます。 創業時の所定労働時間は7時間30分だった万葉は2007年4月の創業時に、柔軟さ・働きやすさを勘案して、以下のように労働時間を定めてスタートしました。 ・1日の所定労働時間は7時間30分 ・30分のみなし残業時間をつける(1日あたり7時間30分〜8時間働いた場合は同じ給与となる) 当時の所感としては、所定労働時間が8時間という会社も多い中、7時間30分はゆとりのある方ではないかと思い

    所定労働時間を7時間に減らして3年が経ちました|万葉
  • 子どもが!!無事に生まれた!!|ヨッピー

    そんなわけで「里帰り出産にくっついて熊行くぞ~~!」って宣言してましたけど、母子共に無事で!元気な子どもが生まれました!!! イェーイ!ピースピース! そんなわけで子どもが産まれるまでのあれこれを書いておこうと思います! まあ「お前みたいな屁こき豚に子どもが産まれたところで私には何の関係もないし!今日の日経平均のほうが大事だし!ハイスペイケメンと結婚したいし!」みたいな人も居るかと思いますけど、まあ参考程度に見て頂ければと思います! あとは将来、自分の子どもがグレまくって釘バット片手にパンチパーマで繁華街をウロつくようになった時、まかり間違ってこのエントリに辿りついて、「ワシの親父はこんな風に心配してくれよったんか……」って反省してパンチパーマを軽い横分けに変えてくれるかもしれない。まあ備忘録的なあれという事でひとつよろしくお願いします。 【妊娠発覚から出産まで】 妊娠が発覚したのは2月

    子どもが!!無事に生まれた!!|ヨッピー
  • 「男性は(安全性の問題から)子供の入院に付き添えません」は正しいのか|ムラキ|note

    最初に一言添えておくと、この命題に正解はない。正確には、「まだ正解とされている解がない」かもしれない。それでも議論されるべきだと思ったし、n=1の実体験として書き記して損はないだろうと思ったので、書くことにした。 1 | 事の発端は息子の入院先日、1歳の息子が4日間入院することになった。出産以来はじめての泊まり掛けの入院である。親がいないことを心細く思うだろうということで、まる4日間付き添い入院を行うことになった。 さて、我が家は両親ともに育休中であり、幸いなことに二人とも十分な時間を有していた。また、出産時の入院環境があまり良くなかった(陣痛から24時間母子同室・完全母乳推奨と言えば伝わる人には伝わるだろう)ことがトラウマになっており、私個人としては「ワンオペ付き添い入院」だけは断固阻止したいという思いがあった。 自然、付き添いの負担は可能な限り平等に行こうという判断になった。できれば2

    「男性は(安全性の問題から)子供の入院に付き添えません」は正しいのか|ムラキ|note
  • 女児誘拐の疑いで通報、そして真実へ。|劔樹人

    昨日、娘と2人で新幹線に乗っていたら誘拐犯と勘違いされて通報される、というショッキング、ある種ユーモラスな出来事があった。 久々にTwitter的な出来事だなあと思ってその件を呟いたら、思いのほか反響があり、さらにnoteに綴ったことも相まってネットニュースになり、今はテレビから取材の申し込みまでぼちぼちある。 そして、ある程度話が広がったということは、いまやインターネットと風物詩ともいえる、偏見や差別、ヘイトも織り交ぜた誹謗中傷や暴論も増えてきた。 なので、ここで自分の立場も含め、当事者として起こったことを感じたままに書いておこうと思う。 私の実家は長野にある。 元々は新潟だったのだが、新潟の実家は、車がないとどうにもならないような、交通やインフラの面で非常に不便な場所だった。 長野には、長野オリンピック前の整備事業で祖父母から国に回収され、2人とも亡くなってからやっと返ってきた土地

    女児誘拐の疑いで通報、そして真実へ。|劔樹人
  • 夫が娘をあやしてたら通報された話|犬山紙子

    娘は今2歳半、超絶イヤイヤ期である。 イヤイヤ期の子どもは凄まじい、とにかく理不尽だ。 今さっきも「私」の着てるTシャツの柄が嫌だと怒られたところです。 まあでもそれも楽しんでいたところはあるんです。 今日の夕方こんなこと呑気に呟いてるし。 で、題。 つるちゃんは昨日実家の長野に娘を連れて一泊し、さっき東京に帰ってました。 私は重度のアレルギーで、2匹のがいるつる実家に泊まる事が不可能。 これまで何回か行ったのですが薬飲んでも重症でダメでした。 大好きだしつるちゃん実家まじLOVEなので(つるちゃんのお母さんと私の友人と一緒に遊んだりするくらい…)寂しいですが、正直育児から2日間解放されるのはものすごく有り難い。 昨日は友人の新生児抱っこしに行けたし、今日も昼まで寝て!!原稿できましたし。 夫に感謝しかないわけです。 普段から仕事に追われる私の分、娘のことを当たり前に愛を持ってやる

    夫が娘をあやしてたら通報された話|犬山紙子
  • 母が毒親の一線をこえたあの日、子供時代が終わってしまった|瀧波 和賀|note

    去年書いたトトロの記事に、大きな反響をいただいた。 今からはじまる物語は、この記事の「ゼロ話」である。 小学3年生の初夏。 9歳になったばかりの私は、「子供の権利」を手放した。 これは、私の子供時代が、無残に終わってしまった日のお話。 ずっと消えない壊れた時間が、いまもここに、残っている。 親の毒を味わうしかない、サビシイ子供だった「わたし」から、今日もどこかで子供と関わる、すべての人へ。 「好きじゃない方の子供」だった、わたしひとつ年下の弟がいる。 3歳くらいのときから、母は私よりも弟のことがカワイイのだな、とハッキリ理解していた。 誰になにを言われるでもなかったが、ちょっとした声かけや態度の差から、幼いながらに読み取れたのだ。 例えば保育園の帰り道。 歩いていて転んだとき、母は私に「も~なにやってんのよ、大丈夫?」と迷惑そうな視線をよこした。 しかし弟が転んだ時には、言葉より先にかけよ

    母が毒親の一線をこえたあの日、子供時代が終わってしまった|瀧波 和賀|note
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