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観光と大阪に関するkenzy_nのブックマーク (2)

  • 大阪城は400年前の全国巨石見本市

    1984年大阪生まれ。2011~2019年までベトナムでダチョウに乗ったりドリアンを装備してました。今は沖永良部島という島にひきこもってます。(動画インタビュー) 前の記事:俺が決めたぜ"世界三大鶏飯"を > 個人サイト AbebeTV おきのえらぶ島移住録 べとまる 大阪城が"巨石の聖地"になったワケ 最初に歴史的な背景をざっくり説明。 有名巨石(後述)の前で写真を撮る外国人観光客 時は1620年、関ヶ原の戦いで勝利を収めた徳川家は、西へ追いやった豊臣方の外様大名たちにある命令を下した。「豊臣がつくった大阪城完全にぶっ壊してもっかい城築くからジャンジャカ石持ってきてね」。首の皮一枚状態の彼らにとってそれを断る選択肢もなければ、むしろ今ここで忠誠を示さないとヤバイ!お家が潰される。 瀬戸内海沿いは石の産地でもあり、また船による運搬に向いていた。 西の大名たちの財力を削る目的ともされた天下普

    大阪城は400年前の全国巨石見本市
    kenzy_n
    kenzy_n 2019/06/26
    オラがクニの巨石
  • 一度はどん底を見た「通天閣」が復活したワケ

    グランフロント大阪、アベノハルカスと大阪に新しい顔が登場する中、大阪のシンボルタワー通天閣の健闘ぶりが目立ちます。各地から観光客を呼び寄せ、朝の9時には、もうお客さんが並んでいます。交わされる会話は大阪弁でなく標準語。インバウンドの外国人も大勢います。えらい人気です。年間来場者数は104万人(2014年度実績)にもなります。 この通天閣を運営するのが、通天閣観光(従業員20名)です。西上雅章社長は、つらい時期を思い出してこう言います。 「今でこそ元気になりましたが、暗黒の3K(汚い、暗い、こわい)時代がありました。事務所の割れたガラス窓、お金が無くてベニヤ板を張ってました」 活路は「高さ」ではない 1975年には、年間来場者数がピーク時(1956年155万人)の1割強の19万人という惨状でした。累積赤字も5000万円にのぼり「通天閣は立っているが、会社は倒れそうでした」と振り返ります。 そ

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