エントリーの編集
エントリーの編集は全ユーザーに共通の機能です。
必ずガイドラインを一読の上ご利用ください。
生きるために済州を離れたのに、海が墓場になった…済州4・3、密航の実態
記事へのコメント0件
- 注目コメント
- 新着コメント
このエントリーにコメントしてみましょう。
注目コメント算出アルゴリズムの一部にLINEヤフー株式会社の「建設的コメント順位付けモデルAPI」を使用しています
- バナー広告なし
- ミュート機能あり
- ダークモード搭載
関連記事
生きるために済州を離れたのに、海が墓場になった…済州4・3、密航の実態
連合国最高司令官総司令部(GHQ)が作成した韓国から日本への密航ルート。1949年1~6月に密航した韓国人... 連合国最高司令官総司令部(GHQ)が作成した韓国から日本への密航ルート。1949年1~6月に密航した韓国人は1327人(282隻)で、このうち済州道民は69人(3隻)となっている。同地図は、米国立公文書記録保管局(NARA)所蔵のGHQの文書を合成したもの//ハンギョレ新聞社 済州(チェジュ)4・3抗争は済州の人々の人生を根本から覆した。生と死の境に立たされた済州の人々は死を逃れて島を脱出した。親や兄弟を失い、頼れるところもなく、失意と絶望の日々を送っていた人々も島を離れた。命がけで密航船に身を預けた人たちが行き着いたのは、日本の大阪だった。日本国内の4・3遺族は確認されているだけで850人あまり。およそ1千人を超えるものと推定される。慣れない土地で自らを鍛えながら根を下ろした人々は、今も4・3の記憶を胸に抱いて故郷に想いを馳せながら、「在日」として生きている。 「済州を発って日本に向かっ