エントリーの編集
エントリーの編集は全ユーザーに共通の機能です。
必ずガイドラインを一読の上ご利用ください。
聖徳太子という呼称を最初に用いたのは誰か、「厩戸王」と呼ぶのはなぜまずいのか - 聖徳太子研究の最前線
記事へのコメント0件
- 注目コメント
- 新着コメント
このエントリーにコメントしてみましょう。
注目コメント算出アルゴリズムの一部にLINEヤフー株式会社の「建設的コメント順位付けモデルAPI」を使用しています
- バナー広告なし
- ミュート機能あり
- ダークモード搭載
関連記事
聖徳太子という呼称を最初に用いたのは誰か、「厩戸王」と呼ぶのはなぜまずいのか - 聖徳太子研究の最前線
「聖徳太子 最近の説」と入力してあれこれ検索していたら、ヒットしたうちの一つが、 宮﨑健司「″和国... 「聖徳太子 最近の説」と入力してあれこれ検索していたら、ヒットしたうちの一つが、 宮﨑健司「″和国の教主″としての聖徳太子」 (真宗大谷派教学研究所編『ともしび』第817号、2020年11月) でした。PDFで読めます(こちら)。 宮﨑氏は真宗大谷派の大学である大谷大学の教授であって、古代の写経について綿密な研究をされている研究者です。この文章は、2020年1月の東本願寺日曜講演をまとめたものである由。ですから、最近の聖徳太子論の一つですね。 宮﨑氏の所属と講演の性格上、当然のことながら、熱烈な聖徳太子信者であった親鸞が読んで影響を受けた聖徳太子伝、つまりは『聖徳太子伝暦』と盛んに作られたその注釈の話を中心としつつ、聖徳太子研究の現状について簡単に紹介しています。 宮﨑氏は、聖徳太子という呼称については、751年の『懐風藻』に見えるため、「八世紀なかばを上限として成立したといえるかと思いま