同世代のレトロゲー話題の盛り上がり方は異常。 子供の頃、あんなのが余程楽しかったんだね。オッサンオバサンになった今でも、あの頃のゲームの曲をライブで演奏してる連中などもいて、生き生きしてる。 一見くだらない(俺はくだらないと思ってないけど)ものでも、娯楽って必要なんだね。 想い出となったり、一生尾を引くみたいだから、子を持つ親はよく考えたほうがいいな。
同世代のレトロゲー話題の盛り上がり方は異常。 子供の頃、あんなのが余程楽しかったんだね。オッサンオバサンになった今でも、あの頃のゲームの曲をライブで演奏してる連中などもいて、生き生きしてる。 一見くだらない(俺はくだらないと思ってないけど)ものでも、娯楽って必要なんだね。 想い出となったり、一生尾を引くみたいだから、子を持つ親はよく考えたほうがいいな。
半分あきらめて生きる 「半分あきらめて生きる」という不思議なお題を頂いた。「あるがままの自己を肯定し、受け入れるためには、上手にあきらめることも必要なのでは。閉塞感漂う現代社会でどう生きていけばいいのか」という寄稿依頼の趣旨が付されていた。 『児童心理』という媒体からのご依頼であるから、不適切な(過大な)自己評価をしている子供たちの自己評価を下方修正させることの効用と、そのための実践的な手順についてのお訊ねなのであろうと思った。 なぜ私にそのような原稿発注があったかというと、ずいぶん前に学校教育について論じた中で、「教師のたいせつな仕事のひとつは子供たちの過大な自己評価を適正なレベルにまで下方修正することにある」と書いたことがあるからである。これはたしかにほんとうの話で、「宇宙飛行士になる」とか「アイドルになる」とか「サッカー選手になる」とかいうことを「将来の夢」として小学生が卒業文集に書
最近の学生と直接交流してみると、僕が想像していたよりもかなり安定を重視しているように感じる。だから、クビになったり転職したりしながら生きている僕の人生はやたらリスクが高いように見えるらしく、「そんなリスクとって不安じゃないんですか」「古賀さんの考え方は変わってる」みたいな話をいっぱいもらう。それを見て、正直言うと、「なんだか今の学生は老人になってしまったな」と思う。(もちろん人によるので「学生」とひとくくりにするのは問題があるとは思うけど、割合として)。心配なのはよくわかるし、合理的だと思う。しかし、安定を求める方法が「過去に安定してた企業に今になって入る」じゃ、むしろ不安定まっしぐらに見えるわけでありまして。
どんなにステーキが大好きな人でも、 毎日、朝昼晩、ステーキだけを強制的に食べさせられ続けたら、 だんだん苦痛になってくる。 本当にステーキが好きな人なら、最初の1ヶ月くらいは毎食ステーキだけでも天国かも知れないが、 それが半年もつづけば、もはやステーキを見るだけでウンザリするだろう。 プログラミングが好きでプログラマーになってしまった人は、 これと同じ種類の拷問にかけられる。 どんなにプログラミングが好きな人でも、毎日休まずプログラムを書き続けないと 生活できないとなると、それはだんだん苦痛になってくる。 好きなことを仕事にして生きていく、というのは、本質的にそういうことなのだ。 そもそも、人は、その瞬間、瞬間で、いろんなことに興味をもち、 いろんなことをやりたくなる、自由で軽やかに発散していく欲望を持っている。 どんなにプログラミングが好きな人でも、 朝起きて、今日は空が青くて気持ちいい
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