漱石はなあ、組織に馴染めんやつ、時代遅れ、アスペ……その他もろもろの「はみだし者」の心のよりどころになる文章を山のように生み出したんや。それだけでなく、「なんでそうなるのか」「どうしたらええんか」について、誰よりも早く考え、真面目に悩み、胃潰瘍で血を吐くほど苦しんで苦しみ抜いて書き続けて死んだんや。すごい人なんやで。 そもそもな。文学というのは、「形のないものに形を与える」営為なんや。こいつのおかげで、人の抱える人生への悩み、生きづらさみたいなもんに少しだけ形を与えることができて、それは心理学的に言えばめちゃめちゃ大きい社会的な「癒やし」効果になるんや。漱石がやったのはそういうことになる。端から見れば、ただ「小説を書いてた」だけやろな。漱石がもともと建築家になるつもりやったって知っとるか。けどなあ、友達に止められたんや。「夏目くん!残念ながら日本はまだまだ二等国や。君が思うヨオロッパみたい
熱帯 作者: 森見登美彦 出版社/メーカー: 文藝春秋 発売日: 2018/11/16 メディア: 単行本 この商品を含むブログ (3件) を見る 昨年のクリスマス・イブのことである。 万城目学氏が京都へやってくるというので、劇団ヨーロッパ企画の上田誠氏も交えて忘年会をすることになった。たしか一昨年の聖夜も、この三人のおっさんたちで清らかな京都の夜をさまよった。ひょっとして、これから死ぬまで聖夜はこのメンバーで過ごすことになるのだろうか……。 ともあれ、万城目学氏が京都へ来るというなら、知らんぷりはできない。 そういうわけで、世にも清らかなおっさんたちは京都市内で落ち合うと、タイ料理店で皿いっぱいのパクチーをもぐもぐ頬張り、次に立ち寄った小料理屋で「我々は文士である」と主張したところ「は?」と問い返されて恥じ入ったりしつつ、花見小路のそばにある静かな酒場へと流れつく頃にはすっかり夜も更けて
ミゾイキクコさんという女性をご存知でしょうか。80代では珍しく、パソコンやタブレット端末を使いこなし、ツイッター(@kikutomatu)で多数のフォロワー(2015年7月現在、5万4千人超)を抱えるインターネットユーザーです。メディアで「コンピューターおばあちゃん」と紹介されることもあり、見たことがあるという方もいらっしゃるかもしれません。 そんなミゾイさんのツイートを追ってみると、Yahoo!ニュースをご利用いただいていることが判明。気になるユーザーの素顔をのぞいてみたい……!との好奇心を胸に、Yahoo!ニュースアプリ責任者の河野清宣(写真右)と当ブログのスタッフが、ミゾイさんのお宅にお邪魔してきました。ミゾイさんが語った、インターネットと情報発信への思いとは――。 溝井喜久子(みぞい・きくこ) 1934(昭和9)年生まれ、81歳。埼玉県東松山市在住。11歳の時、太平洋戦争の終戦を迎
先月、1カ月にわたって日本経済新聞紙上に連載された「私の履歴書」は、ビジネスマンの間で「面白すぎる」と評判を集めた。 「お、ねだん以上。」のCMで知られる、家具小売り大手「ニトリホールディングス」の似鳥昭雄社長(71)が、裸一貫から“一代”で国内外約350店舗、年商約4000億円の一大企業を築き上げるまでの半生を語ったのだ。 だが、「あそこに書かれていることは嘘ばかり!」と厳しく批判する人物がいる。似鳥氏の実母・似鳥みつ子さん(94)である。ニトリ創業の地、札幌で一人暮らしを続けるみつ子さんは、「週刊文春」の取材に約2時間にわたって怒りをぶちまけた。 例えば、極貧だった少年時代のエピソードが「私の履歴書」では随所で語られているが、みつ子さんはこう憤る。 「確かに、昭雄が6歳くらいになるまで家は貧しかった。けど、ヤミ米の仕事を始めてからは裕福になったの。あの頃、まだ珍しかった三輪自動
2014年10月31日放送のTBS系の番組『金曜日のスマたちへ』にて、タレント・俳優の高田純次が出演し、自伝本『高田純次のチンケな自伝 適当男が真面目に語った“とんでも人生"』を基に、自身の人生について語っていた。 高田は、高校卒業後、大学受験を受けたが全ての大学に不合格。その後、一浪したが再び全ての大学に不合格となり、東京デザイナー学院グラフィックデザイン科へ進学した。 71年、24歳の時に自由劇場の舞台を見て俳優を志願するようになり、入団して研究生となった。そこには、柄本明、ベンガルらがおり、ともに活動していたが、同時期に高田は結婚。劇団の収入では生活できないこともあり、26歳の時に退団。宝石販売会社に入社し、サラリーマン生活を送ることとなる。 だが、77年に居酒屋で偶然再会した柄本明、ベンガルと話をしているうちに、再び演劇の道を志すことを決め、「劇団東京乾電池」に入団。サラリーマン生
今年の『27時間テレビ』のフィナーレ。 「それではテレビをごらんのみなさんに」と進行役の生野アナに振られ, 「27時間ふりかえって,団結とともに」とSMAP中居に水を向けられると, タモリはカメラに正対して次のように語った。 まあ,27時間テレビをふりかえって,団結団結と言って,団結したんですけど,そのぶん,国民から離れたかもしれません。えー,テレビを見ていてくれた方々,そして見ない方にも感謝を申し上げます。どうもありがとうございました。 「団結」がテーマだった今回の『27時間テレビ』を, 最後の最後にきて皮肉るコメント。タモリっぽい。 他の時間帯で発されたタモリの次のような一言を踏まえるならば, そのタモリっぽさは更に引き立つだろう。 なるべく異常なことを普通のようにやりたい。(「さんま・中居の今夜も眠れない」でのタモリの一言) 深い時間帯に本人によって吐露された, タモリの「おもしろ観
2011年12月02日07:28 大日本帝国の逸話と画像を貼っていく Tweet 1:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/12/02(金) 02:10:02.97 ID:cmMZLHdr0 解説交えて紹介していきます。 5: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/12/02(金) 02:10:48.62 ID:qrFEvGyr0 これは期待せずにいられない 12: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/12/02(金) 02:11:54.35 ID:cmMZLHdr0 ~撃墜王編~ 坂井三郎 撃墜数は64機。僚機を失ったことがなく、これは第二次世界対戦の歴代搭乗員の中で坂井ただ一人だけ。 戦後に海軍時代の経験を綴った著書『大空のサムライ』はあまりにも有名。 超人的なエピソードが幾多も存在する。 ・昼間に星が見
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