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社会とblogに関するmahalのブックマーク (8)

  • 「いい話」の陥穽 - raurublock on Hatena

    yuco さんの書いた 「中出しハッピー!」は当に「いい話」か? を読んで考えたこと。実は私も元の 中出しハッピー を読んだとき「いい話」だと感じてしまった。yuco さんのエントリを読んでから深く考えてみるに、今回のこれに限らず「いい話」にはたいてい落とし穴があるように思う。多くの人は落とし穴に気づかない。今回はたまたま yuco さんがそれに気づいた。しかしおそらく、世の中で「いい話」と呼ばれているようなストーリーのほとんどにも、同じような落とし穴があるのではないかと。 「いい話」にはたいてい、何らかの形で不幸な境遇にいる人が登場する。その不幸な境遇は社会的に作り出されたものだ。そしてストーリーが「いい話」で終わっても、不幸な境遇を作り出している社会的な構造は何も変わらない。登場人物には何か別の形で救いが与えられる。それは当にささやかなものかもしれない。我々はそのささやかさを「いい

    「いい話」の陥穽 - raurublock on Hatena
    mahal
    mahal 2008/10/19
    つか、「子供が出来なきゃ結婚もできないという社会的な圧力」に微妙にリアリティが欠如してる辺りが、この話の「いい話性」を阻害してる本質的な要因はないかと愚考するが。
  • 秋葉原通り魔事件記事リストと、高速消費される事実のこと(1) - N.S.S.BranchOffice

    はてなエコー自分のために、まず事件発生からの直接関係した話題を注目エントリーから手作業で抽出(抜けてたら教えていただけるとありがたいです)して、読み取った要旨を書き出してみる。あらかじめ注意すると以下の要旨はいずれも当該のブログからの引用、改変引用を含みます(以下、いちいち断りませんが、それぞれ参照してください)。要約しているため必ずしも丸まるの引用とは限りませんので注意してください。それぞれ正確な内容は当該の記事を参照してください。また引用を行う際には孫引きを防ぐためにもともとの記事を参照してください。 2008-06-08秋葉原で、通り魔事件発生 刃物で数人を刺し逃走→確保されました。 - 酔拳の王 だんげの方事件に関する報道のまとめ、及び写真。なぜ「秋葉原」なのか―スペクタクル化という逆流 - No Hedge!犯人の動機について。動機として、自らの住んでいた不全を起こした生活空間(

    mahal
    mahal 2008/06/10
    まとめてもこの長さとは、まさに高速消費。
  • 中年金融マンぐっちーさんコラム盗用問題報道について - 植草一秀の『知られざる真実』

    5月25日付記事「「債券・株・為替 中年金融マン ぐっちーさんの金持ちまっしぐら」について」に関連するが、日テレビ系ローカル局の福島中央テレビの大野修アナによる同局の公式ホームページ連載コラムへの、Y・M氏の上記ブログなどからのコラム記事盗用が報道されている。 毎日新聞記事によると、「盗用は、週刊誌などに連載もある証券マンブロガー、ぐっちーさん(47)のブログからで」、「ぐっちーさんのブログの閲覧者が同局に抗議して発覚」したとのことだ。毎日新聞の同記事は「これに対し、ぐっちーさんは「ほとんどをコピーしたもので罪は深い。著作権の問題もあり、訴訟を提起する」と話している」とY・M氏のコメントを掲載している。 また、Y・M氏自身はブログに「おい、人間としてのプライドはないのか?」と題する記事を掲載している。 先日の記事にも記述したが、Y・M氏は私が巻き込まれた冤罪事件に関連して、極めて悪質な事

    中年金融マンぐっちーさんコラム盗用問題報道について - 植草一秀の『知られざる真実』
    mahal
    mahal 2008/05/27
    続報北野^H^H来たので。/しかし、この件ってかなり足がつきやすいヤマだと思うんだけれど、今まで誰もツッコミ入れてなかった方が不思議というか、どういう構図があったんだろうね?
  • 植草一秀の『知られざる真実』: 「債券・株・為替 中年金融マン ぐっちーさんの金持ちまっしぐら」について

    名誉毀損行為はマスメディアだけの問題ではない。インターネット上のブログ等を通じても生じ得る問題である。 私が現在公判係争中の事件に巻き込まれ、警察署に勾留されていた時、 「債権・株・為替・中年金融マン ぐっちーさんの金持ちまっしぐら」なるブログ が、事実無根の悪質な記事を掲載していた。 私が事件に巻き込まれたのは2006年9月13日の夜だった。9月14日午後4時25分の記事「植草一秀君-2」にこのような記述がある。 「どうしたもんでしょう??やはり病気だったんでしょうか。こちらで植草擁護論をぶちあげ、東京地方裁判所にて証人に立ったぐっちーとしてはもうマカロニ状態ですな。(みんなにやめとけ、とかいわれたけど・・・) これから人に会いに行ってきます。 また、こちらでご報告いたしますが、3回目はさすがにまずいだろうね。私は偽証罪を問われたりするかもしれんの(笑)。」(一部抜粋) そして、9月1

    植草一秀の『知られざる真実』: 「債券・株・為替 中年金融マン ぐっちーさんの金持ちまっしぐら」について
    mahal
    mahal 2008/05/25
    ミラーマンから、文字通り反射してきたブーメラン。
  • 「さらに弱いもの」がやさぐれ「弱いもの」を叩き「正しさ」の荒野が量産されていく: muse-A-muse 2nd

    この件にはあまり関わる気はなくて、てきとーについったーでつぶやくに留めてたんですが、hashigotanの様子も大丈夫そうだし、なんか違和感が残ってるのでエントリにまとめようかと思います。 まず最初にぼくの立ち位置なんですがどちらの味方というわけでもないです。かと言って「敵」というわけでもない。単なる傍観者なんですが、加えて言うなら「もうちょっと幸せな結末はなかったもんかなぁ」と思ってます。当事者についてはそんな感じなんですが外野については少し思うところがあります。ただ、これも批判とかバカにするとかそういうことではなく単純に、「もうちょっとうまくやれたんじゃないか?」、と思う程度です。「誰も悪くないのなぁ」と「もうちょっとうまくやれたんじゃないか?」っていうそういう気持ち。「誰が正しい」とか「偽善者」とかそういう優越感ゲームに加わるつもりはありません。 で、件のエントリなんですが、ちょうど

    mahal
    mahal 2007/11/10
    大体自分の感覚も、この辺りに近いかな。
  • みなさん、blogって是々非々で読んでるよねえ? - 日毎に敵と懶惰に戦う

    特定の人のblogで批判とか擁護とかすると、途端にに「あっち側」「こっち側」みたいにレッテル貼りする人っていますけど、そんな単純じゃないよねえ。 例えば大石英司タンのところ読んでいても、田中康夫と勝谷誠彦と日垣隆の批判は話半分で読む、とか、散人先生のところ読んでいても、農村批判は「はいはいクマクマ」するとか、Jonahさんのところをいろいろ関心しつつ読んでいても、あんまり中韓をおもんぱかり過ぎでそれはどうよって記事は「ハハハハ、こやつめ」とか、愛・蔵太さんの記事にいつも注目していても時々「先生先生、ちょっと落ち着いて」みたいな。 なんか大石英司タンのところ愛読してると「じゃあおまえ、田中康夫批判も同意か」みたいなこと言う人、困るんだけど。高みに立って偉そうに裁定するって態度じゃなくてもさ、もっとこう、精一杯努力して是々非々で取捨選択するみたいな態度、みなさん取ってますよね?いや、すまん、ち

    みなさん、blogって是々非々で読んでるよねえ? - 日毎に敵と懶惰に戦う
    mahal
    mahal 2007/06/28
    まぁ、基本的に全ての事象に対して自分と共鳴する人なんている方が気持ち悪いし、またどんなアルファブロガーでもあらゆる点で太刀打ち出来ないほどの賢者ってのはいない訳ですからねぇ。
  • 切込隊長BLOG(ブログ) 酔っ払って帰社したので書きたいことを書く

    何を言おうとしたんだっけ。 人様が書いたネタをひとつ。 http://d.hatena.ne.jp/essa/20070618/p1 この男が書いていることはいつもおもしれー。優秀。軸がぶれないので読んでいて定点観測に役立つ。アレントかよ。昨日来日1号打ったぞ。別人だって。catfrog曰く早漏。早漏はいいことだ。ネットでは。 何を書こうとしたんだっけ。早漏じゃなくて。忘れた。もういいや。 別の話。今日もサイトが落ちているbewaad氏の話。サイト呼び出しっぱなしやがな。 これね。このエントリー。 http://bewaad.com/2007/06/17/171/ いやー、名指しでエントリー書かれたはいいんだけど、仔細さっぱり分からね。勉強しなきゃなあと思いつつ社会保障論は大学時代は可(C評価)だったのを思い出した。私は公的負担で福祉って基的に嫌いなんだよ。生活保護? 何それ? って価値

    切込隊長BLOG(ブログ) 酔っ払って帰社したので書きたいことを書く
    mahal
    mahal 2007/06/19
    随分手の込んだチラシの裏である。
  • ブログ世界はフラットではない---「アルファブロガー」の孤独なセクトが生まれるわけ。 - BigBang

    そんなことは当たり前だと、あなたはいうかもしれない。彼らは有名人であり、多忙である。近づく全ての人の言うことに、いちいち反応する時間も気力も湧かない。それはその通りである。だが、この当たり前のことのように思える中に、「フラットになったはずの」言論世界に、一層微細な断片化、階層化が進行する構造が隠れているのではないか、と夢想してみた。 モデルを単純にするために、アクセス数で考えてみる。 ここに、AB2つのブログがある。Aブログのブロガーは少子さん。アクセス数は、日に100ビュー程度。Bブログのブロガーは多佳子さん。アクセス数は日に1万ビューである。さて、この両ブログの間に交流が生じ、やがて議論が起きたとする。アクセス数の少ない少子さんは、多佳子さんを手ひどい言葉で批判していて、多佳子さんもそれを知っているとする。さて、ひどい批判を受けた多佳子さんは、果たして少子ブログに乗り込んで反論をすべき

    ブログ世界はフラットではない---「アルファブロガー」の孤独なセクトが生まれるわけ。 - BigBang
    mahal
    mahal 2007/02/11
    まぁムカついたこと言われても大っぴらに反論するコストがあるってのはそれはそれでストレスっぽくも見えるが。
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