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歴史と古文書に関するkaitosterのブックマーク (2)

  • 「本能寺の変」後の柴田勝家直筆の書状見つかる | NHKニュース

    明智光秀が織田信長を討った「能寺の変」の8日後に、信長の重臣として知られる柴田勝家が織田方に宛てた直筆の書状が新潟県新発田市で見つかりました。光秀の討伐に出遅れた勝家が、当時、京都から大阪に展開していた光秀の居場所を正確に把握できていなかったことがうかがえる内容で、専門家は「能寺の変直後の勝家の情報収集の水準がわかる貴重な記録だ」と指摘しています。 郷土史に詳しい新潟大学の冨澤信明名誉教授が新発田市の溝口家に残る歴史資料の中から見つけました。 書状の冒頭には、「天下の形勢は致し方ないことで言語に絶するばかりだ」と、能寺の変について勝家の驚きのことばが記されています。そして明智光秀が、拠点としていた江州、今の滋賀県にいるとみて、当時の大坂にいた織田方の重臣、丹羽長秀と連携して光秀を討伐する計画を明らかにしています。 調査にあたった専門家によると、能寺の変のあと勝家が光秀の居場所に言及

    「本能寺の変」後の柴田勝家直筆の書状見つかる | NHKニュース
    kaitoster
    kaitoster 2018/11/17
    秀吉黒幕説で一番有名な作品はアニメ化もした「へうげもの」だろうけど、本能寺で秀吉自ら信長切るという無茶苦茶ストーリーだからなあ。最近は秀吉が光秀に信長殺せば天下取れるぞとそそのかした説取る人多いよね。
  • 真田信繁の書状の原本 約100年ぶり発見 | NHKニュース

    ことしのNHKの大河ドラマ「真田丸」の主人公になっている武将の真田信繁が、自身の老いた姿など記した書状の原が、およそ100年ぶりに見つかりました。 書状は三重県に住む男性が古書店で購入し、信繁に関する古文書に詳しい慶應義塾大学の非常勤講師、丸島和洋さんが24日に鑑定を行って、筆跡や花押、それに紙の質などから信繁の直筆と判断しました。丸島さんによりますと、書状は義理の兄の小山田茂誠に宛てられ、書かれた時期は特定できませんが、故郷に住む人たちに会いたいという内容が記されています。また、「去年から急に老け込んでことのほか病気がちになり、歯も抜けてしまい、ひげも黒いところがなくなってしまいました」と自身の老いた姿を嘆く様子もつづられています。この書状は、大正3年(1914年)に作られた写が東京大学史料編纂所に残されていますが、その後、原の所在がわからなくなっていました。 丸島さんは「写では

    kaitoster
    kaitoster 2016/10/25
    『書状は義理の兄の小山田茂誠に宛てられ、書かれた時期は特定できませんが、故郷に住む人たちに会いたいという内容が記されています』←WIKI見ると生前最後に送った手紙も茂誠宛てだったんだなあ。仲良し義兄弟。
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