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出口康夫 文学研究科准教授 「レヴィ=ストロースを悼む 理性を超える究極の理性」(2009.12.16) | 京都大学新聞社/Kyoto University Press
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出口康夫 文学研究科准教授 「レヴィ=ストロースを悼む 理性を超える究極の理性」(2009.12.16) | 京都大学新聞社/Kyoto University Press
先号、先々号と続いたクロード・レヴィ=ストロース追悼企画。最終回の今回は、文学研究科の出口康夫・... 先号、先々号と続いたクロード・レヴィ=ストロース追悼企画。最終回の今回は、文学研究科の出口康夫・准教授(下写真)から、科学哲学の見地から見たレヴィ=ストロースのあり方を示していただくことにした。ポスト構造主義の流行を経て「哲学の低迷」が言及される現代において、レヴィ=ストロースをどのように見直すべきか。自然科学の発展が著しい現代にあっては、人文・社会科学にも自然科学との適切な距離のとり方が必要とされるだろう。その端緒をレヴィ=ストロースに見出せないか。そのような見地より、お話を伺った。(編集部) レヴィ=ストロースの「構造主義」とはなんだったのか。数理科学の哲学から、それをどのように位置づけ、評価することができるのか。これらの問題を考える手がかりとして、そもそも「構造主義」という場合の「構造」とは何か、そこで語られる「主義」とは何についての「主義」なのかを考えてみたいと思います。その上で、