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総合大学で芸術を学ぶために 京大の芸術教育を追う(2007.11.01) | 京都大学新聞社/Kyoto University Press
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総合大学で芸術を学ぶために 京大の芸術教育を追う(2007.11.01) | 京都大学新聞社/Kyoto University Press
京都大学には「芸術学部」がない。 全学共通科目には、芸術学基礎論や音楽芸術論の他、現代芸術であるメ... 京都大学には「芸術学部」がない。 全学共通科目には、芸術学基礎論や音楽芸術論の他、現代芸術であるメディアアートの講義もある。建築学科でもデザインの講義はあるし、法学部の政治思想史にも芸術に関する記述が登場する。決して芸術が無視されているわけではない。では、なぜ学部として専門的に学ぶ場がないのだろうか。ここでは、芸術から得られるものについて考察し、京大におけるその教育・研究の現状を描く。そして総合大学で芸術を学ぶことの可能性と限界を探りたい。 京大で三者三様に芸術を扱う研究者、篠原資明教授(人間・環境学研究科)、土佐尚子教授(学術情報メディアセンター)、小野紀明教授(公共政策大学院)に話を聞いた。(慶) 〈芸術とは何か 学問の真髄を支える柱として〉 フランシス・ベーコンは学問、すなわち人間の能動的な精神活動を3つに分類した。その3つとは、歴史、哲学、詩である。その思想によれば、歴史は記憶によ