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片山地方とミヤイリガイ | 宮入慶之助記念館
備後国川南村片山地区(現在の広島県福山市神辺町川南)では古くから原因不明の風土病が住民に多大な被... 備後国川南村片山地区(現在の広島県福山市神辺町川南)では古くから原因不明の風土病が住民に多大な被害をもたらしていました。この風土病についての最初の学術的な記録が藤井好直医師が1847年(弘化4年)に著した『片山記』でした。これには「川南村には片山(別名漆山)という小高い山があり、この辺りの水田地帯に入ると皮膚が漆かぶれのようになり、下痢をして手足がやせ細り、顔色が黄色くなったり、さらに腹が膨れ上がってやがては死んでしまう病気が多発している。人だけではなく、牛も馬も同じように何十頭も死んでいる。何が原因かわからない。」と記しています。この風土病は「片山病」と呼ばれるようになり、藤井好直は明治10年にも『片山附記』を著し、「片山病は依然として発生し、死者が出ているが、いまだに原因は不明である。」と記しています。 広島県は1882年(明治15年)に「片山病調査委員会」を組織して、本格的な原因究明