エントリーの編集
エントリーの編集は全ユーザーに共通の機能です。
必ずガイドラインを一読の上ご利用ください。
東浩紀「多視点的な映画『ドライブ・マイ・カー』に感銘受け、希望を見た」 | AERA dot. (アエラドット)
記事へのコメント0件
- 注目コメント
- 新着コメント
このエントリーにコメントしてみましょう。
注目コメント算出アルゴリズムの一部にLINEヤフー株式会社の「建設的コメント順位付けモデルAPI」を使用しています
- バナー広告なし
- ミュート機能あり
- ダークモード搭載
関連記事
東浩紀「多視点的な映画『ドライブ・マイ・カー』に感銘受け、希望を見た」 | AERA dot. (アエラドット)
東浩紀/批評家・作家。株式会社ゲンロン取締役 批評家の東浩紀さんの「AERA」巻頭エッセイ「eyes」をお... 東浩紀/批評家・作家。株式会社ゲンロン取締役 批評家の東浩紀さんの「AERA」巻頭エッセイ「eyes」をお届けします。時事問題に、批評的視点からアプローチします。 * * * 遅まきながら濱口竜介監督の「ドライブ・マイ・カー」を観(み)た。仏カンヌ国際映画祭で脚本賞を受賞し、米アカデミー賞で日本映画初の作品賞にノミネートされた話題の作品である。 大変な感銘を受けたが、同作については多くの評が出ている。ここでは原作との比較から見た魅力を記した。 同作の原作は村上春樹の同名短編である。妻に先立たれた50絡みの男性俳優が、亡き妻の浮気の謎について一世代下の女性と語りあう。そして一種の許しに至るという物語だ。 村上春樹は現代日本を代表する小説家である。当然の評価だが、他方で彼はきわめて男性的な作家でもある。村上文学に登場する女性は、男性に欲望や気づきを与える存在としてのみ描かれ、単体では生彩に