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ザクセンハウゼン強制収容所から考える、自国の加害性との向き合い方 - Dialogue for People(ダイアローグフォーピープル)Dialogue for People
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ザクセンハウゼン強制収容所から考える、自国の加害性との向き合い方 - Dialogue for People(ダイアローグフォーピープル)Dialogue for People
2017年9月――ポーランド南部、オフィシエンチムに位置する「アウシュビッツ=ビルケナウ博物館」を訪れ... 2017年9月――ポーランド南部、オフィシエンチムに位置する「アウシュビッツ=ビルケナウ博物館」を訪れた。ナチ・ドイツによって行われたホロコーストの記憶の染み付いた敷地は、世界各国から訪れる多様な訪問客の姿と奇妙なコントラストを描いていた。 同地でガイドとして働く中谷剛さんは、「ここにはヒットラーの写真など、1枚も展示されていませんよね?」と、訪問者に語りかける。こうした歴史の惨禍を特定の個人の責任と矮小化してしまっては、社会の空気の中に、そして個々人の中に潜在的に眠る「差別・偏見の意識」や「優生学的思想」といった“危うさ”を見つめ直すことはできない。 加害の歴史と向き合うこと――それは国や民族、社会などという大きな枠組みに一体感を感じれば感じるほど、自身に刃を向けるような苦しさを伴うものかもしれない。けれど、そこから逃げて自己弁護をし続けているだけでは、同じ轍の上に続く悲劇への暴走を止め
2024/04/30 リンク