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夏山に足駄を拝む首途哉 - 芭蕉百句 100 haikus of Basho
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夏山に足駄を拝む首途哉 - 芭蕉百句 100 haikus of Basho
なつやまにあしだををがむかどでかな 元禄2年(1689)4月の作。前書に「修験光明寺(しゆげんくわうみや... なつやまにあしだををがむかどでかな 元禄2年(1689)4月の作。前書に「修験光明寺(しゆげんくわうみやうじ)と云有。そこにまねかれて行者堂を拝す。」とある。もともと光明寺は文治2年(1186)に那須与一資隆が阿弥陀仏をここに勧進して即成山光明寺を建立したことに始まる。山城国伏見の光明山即成院の阿弥陀仏に祈願して、『平家物語』に記される、扇の的を射抜くことができたことがその所以である。その後、荒廃するも、永正年間(1504〜1521)に那須資実によって天台修験道の寺として再建され、芭蕉が訪れた時には行者堂に役行者が履いたと伝わる一本歯の高足駄が祀られていた。現在は、残念ながら廃寺となっており、小高い丘に芭蕉の句碑を残すのみである。 ちょうど光明寺跡の北には白河の関があり、西は那須連山、東には八溝山系の山々が連なっている。その雄大な夏山を背景に眺めながら、与一にあやかる思いも胸に、これから向