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文学と批評に関するaceraceaeのブックマーク (2)

  • 削除から考える文芸時評の倫理

    月評の文章が削除される 今年から文藝春秋の文芸誌『文學界』で「新人小説月評」を担当している。純文学世界に精通してない方に少しシステムを説明しておくと、『文學界』編集部がセレクトした新人、具体的には芥川賞をまだとっていない純文学作家の小説を、いいとか悪いとか、評していくという仕事だ。文芸時評自体は、前年に週刊紙『読書人』で一年間担当していたこともあって個人的には去年の勢いのままつづいている感もあるが、原稿料や編集者の姿勢といったこまごました違いがそこそこ興味深い。 さて、そんな月評だが、2月5日発売の『文學界』3月号の拙文の末尾「岸政彦『大阪の西は全部海』(新潮)に関しては、そういうのは川上未映子に任せておけばいいでしょ、と思った。」(p.307)が編集部によって削除されるという事件が発生した。 以下、誌と削除される前のゲラ状態の末尾部分を添付しておく(左:誌、右:最終ゲラ)。 検閲とは

    削除から考える文芸時評の倫理
    aceraceae
    aceraceae 2021/02/06
    まあ力関係はいろいろありそうだけど。
  • <芥川賞候補「美しい顔」>自身の内面理解のために震災が舞台設定に使われただけ/被災者の手記編集 金菱教授に聞く | 河北新報オンラインニュース

    北条裕子さんが「美しい顔」の参考文献に挙げた5冊のうちの1冊は、東北学院大の金菱清教授(社会学)が編者となり71人の被災者の手記を集めた「3.11慟哭(どうこく)の記録」(新曜社)だ。金菱教授に一連の騒動をどうみるか聞いた。 (生活文化部・阿曽恵) ◎「3.11慟哭(どうこく)の記録」編集 東北学院大・金菱清教授 「被災地に一度も行ったことがない」との言葉にまず違和感を覚えた。自分にとって重要な作品であれば直接被災地を見たくなりそうなもの。むしろ行かずに想像力で書いたことが一種の売りになっている。 参考文献について北条さんは「単行が出るときに付ければいいと思っていた」と釈明するが、個人的には小説に参考文献を明記する必要はないと考える。小説を書くとは、さまざまな文献を読み込み、自分の中で消化、沈潜させ、改めて自分の言葉で昇華させることであり、文献の痕跡を消したものが作品であるはずだからだ。

    <芥川賞候補「美しい顔」>自身の内面理解のために震災が舞台設定に使われただけ/被災者の手記編集 金菱教授に聞く | 河北新報オンラインニュース
    aceraceae
    aceraceae 2018/07/20
    参考文献の明示についてや引用か剽窃かという問題はあるけれど、作品の内容そのものの倫理性を文学作品に問うことのほうに違和感があるんだけどな。
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